私には長年ひとつの疑問がありました。
私はどうして「アーティスト」でい続けるのだろう?

音楽の好きさ加減が誰にも負けない!・・・わけでもない。
世界中の誰より、ピアノや歌が上手い!・・・わけでもない
アーティストとして生活が完璧に成り立っている!・・・わけでもない。
アーティストとしてめちゃくちゃずば抜けた才能で世界で脚光を浴びている!・・・わけでもないw

だけれども、私は迷いなく「私はアーティスト」と自称することができるし
どんな状況になっても、音楽を辞めたいとかアーティスト活動を辞めたいとか
そういう発想がほぼない。
私のアーティスト自認は、もう呪縛と言ってもいいレベルのものだ。

Q.なぜそれほどまでにアーティストでい続けているのか。

ある時、本当につい最近、その答えにたどり着いた。

A.アーティストに生まれたから。


それ以上でも、以下でもない、ストンと腑に落ちるシンプルな答え。


そうか。私はアーティストをやっているんではなくて
アーティストに生まれたんだ!

と同時に、アーティストに産んでくれた母がいるのだ
ということに気づいたりもした。

さて、アーティストに生まれたということは
アーティストという生物であるからして、
この世界で自分がやることなすこと、
全てをアートにできる可能性をはらんでいる、ということだ。

音楽は、アートと(敢えて2者を分離して捉えると)親和性の良い「手段」で
かつ、(以前は)私が唯一、人とマトモに繋がれる手段だった。
音楽に救われ、音楽に守られて、音楽で育って、音楽で世界を知った。
だからこそ私はずっと音楽でアートをやってきた。

これからもそのホームポジションは変わらないと思うけど
生きていく過程で、アートする過程で、
音楽に縛られすぎることはないのかなと考えるようになった。
何をやっても、アートにできるはず。
だって私はアーティストに生まれたから。
長いか短いかよくわからんけどの人生の中で
必要なもの、興味惹かれるものがあれば
それに手を伸ばして良いのだと思う。
(例えばぶっちゃけ、勉強の方が多分音楽より好きだったりするし。)

結局ホームポジションが音楽だから、何をやってもきっと曲ができるし
何をやっても結局、音楽を伴ったアートに還元されると思われるw
一生バカやっていくためには、燃料も必要。
バカは持続しなけりゃ意味がない。(私にとってはね)
死ぬまでバカやり通して、
あぁ、自分の人生おしなべてバカだったなぁって目を閉じられれば幸せだよな。
おしなべてバカ を通すために、
今必要な種をまく。
そんなことを今、やっている。

40代にもなれば、いろいろ考えることがあるんだよ。
だから、もう少し時間をください。

追伸:
今自分が必要!と感じたことにとても正直な私。
それゆえ、端から見ていると
迷走かよ!とか、移り気だなとか気まぐれだなとか
思われるんだろうなと思う(笑)
だから、ここに内情をそっと書いておこうと思った。
まぁ、平たく言えば言い訳だよw