鈴木貴士さんというアーティストがいました。
彼は私にとって、とても衝撃的な人物でした。
彼は、絵も書くし即興演奏もするし映画も撮るし写真も撮る。なんならイベントもオーガナイズする。
表現というフィールドのいろんな手段を使って活動していることに、音楽しかしらない私はまず驚き!
そして、さらに特筆すべきは、
どの表現手段においても、
表現が一貫していたこと。
個人的に私が彼の表現から感じていたのは
エネルギーを煮詰めたようなドロドロのカオスと、そこからの解放。それら移り変わりの過程。
彼がそれを意図していたかはわからない。
でもそれが私からみた「鈴木貴士」という芸術でした。
彼の一貫性に気づいたとき、
私は圧倒されました。
一貫性。私にはあるんだろうか。
私は音楽だけ携えて生きているのに
ここまで自分の全部をかけて表現する
一本通ったものが、自分には見つけられなかったんだ。
いつか、彼のように
一貫した自分で表現したい
当時の相方きんぐにも、その断片のようなことをよく話していました。
近年音沙汰ないなと思ってたら
私が彼を追いかけていないだけでした。
先日亡くなったと、知らされました。
あらためて彼のこと、彼の表現を思い出し
私は退化してんなーと。
ぜんぜん近づけてないや。あなたの生き方に。
彼は今ごろ、「天使の羽」の中で腰かけて、
世の中のカオスを眺めては作品を描き、奏でていることでしょう。
そのカオスの中にいきる私は自分の中のカオスと闘い、折り合いをつけながら過ごしてる。
絵に描かれる側から、描く(奏でる)側へ
ゆくことができるだろうか。
せっかく生きてる。
ならば、あなたに負けない表現をしたいよ。
天のライバルへ想いを込めて。
彼は私にとって、とても衝撃的な人物でした。
彼は、絵も書くし即興演奏もするし映画も撮るし写真も撮る。なんならイベントもオーガナイズする。
表現というフィールドのいろんな手段を使って活動していることに、音楽しかしらない私はまず驚き!
そして、さらに特筆すべきは、
どの表現手段においても、
表現が一貫していたこと。
個人的に私が彼の表現から感じていたのは
エネルギーを煮詰めたようなドロドロのカオスと、そこからの解放。それら移り変わりの過程。
彼がそれを意図していたかはわからない。
でもそれが私からみた「鈴木貴士」という芸術でした。
彼の一貫性に気づいたとき、
私は圧倒されました。
一貫性。私にはあるんだろうか。
私は音楽だけ携えて生きているのに
ここまで自分の全部をかけて表現する
一本通ったものが、自分には見つけられなかったんだ。
いつか、彼のように
一貫した自分で表現したい
当時の相方きんぐにも、その断片のようなことをよく話していました。
近年音沙汰ないなと思ってたら
私が彼を追いかけていないだけでした。
先日亡くなったと、知らされました。
あらためて彼のこと、彼の表現を思い出し
私は退化してんなーと。
ぜんぜん近づけてないや。あなたの生き方に。
彼は今ごろ、「天使の羽」の中で腰かけて、
世の中のカオスを眺めては作品を描き、奏でていることでしょう。
そのカオスの中にいきる私は自分の中のカオスと闘い、折り合いをつけながら過ごしてる。
絵に描かれる側から、描く(奏でる)側へ
ゆくことができるだろうか。
せっかく生きてる。
ならば、あなたに負けない表現をしたいよ。
天のライバルへ想いを込めて。
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